県立入試の内申についての考察

私が中学生のときも内申はありました。しかし、当時は、相対評価であり、全て期末テストの結果のみで決まっていました。

あれから40年の月日がながれましたが、「相対評価」から「絶対評価」に変わりました。そして、3つの学びである「対話的な学び」、「主体的な学び」、「深い学び」を評価するために、期末テスト以外に提出物の提出の有無や授業中の態度等も重視されるようになりました。

その結果、定期テストで90点とっても、提出物の提出がさっぱりでていなかったり、授業中の態度が悪いと、3がつくこともあるようです。逆に、テストは60点でも提出物は完璧に出して、授業中の態度がよければ、5がつくこともあります。

要するに先生の主観的な見方が大きく影響する評価方法に変わってしまったのです。先生がどんな優秀な子どもでも嫌な感情をもてば、それが成績に反映されるのです。これは、ある意味、大人の世界です。

私は、確かに大人の会社の評価等は、実績だけではなくて、上司の部下への印象も影響するのは、ある意味、大人の世界なのでやむを得ないと思っています。

子どもの世界では、逆に、正々堂々、昔のように、先生の主観が一切入らないほうが、公平であり、公正であると考えています。

首都圏では、この内申制度を嫌い、私立中学を受験する家庭も多いものと思います。

絶対評価」は、結果的に先生の恣意的な要素が強調された結果、制度が複雑化し、見えない部分の多い闇の空間をつくりました。

そもそも、「相対評価」では、1をつけなくてはならない生徒を先生が是非ともやめたいということでしたが、「絶対評価」でも、1をつけられた生徒は、相当数います。しかも、学校からの改善の指導はありません。「評価と指導の一体化」は、現実的には、実施されていません。

絶対評価」ですから、成績のつけるのが、あまい先生も厳しい先生もいます。それから、学校全体のレベルの違いもあります。

絶対評価」にしたために、先生個人の恣意的な要素が大きく成績に反映するようになってしまいました。これを客観性、公平性、公正を要にする入試制度の要素にするには、誰が考えても無理があります。

その結果、3年の2学期の成績がそのまま内申になるのではなくて、校内調整や学校間調整等のブラックボックスの調整が行われることになります。

生徒個々人 の本当の内申点は、公表されていません。勿論、入学試験の成績のみは、公表されていますが。

公表されないものが、入試の要素のひとつになっていること自体、入試制度の制度設計の欠陥を感じます。


大学で教鞭をとっている友人が言いました。
「やればやるほど、悪くなる教育改革」

完全個人指導塾 oec 下垣 明

連絡先 08067134143

大分市松が丘二丁目28の7