いつから中学と高校の部活動は「神聖化」されたのか?

私は、40年以上前に、都立高校を卒業しました。
当時、クラブ活動をしているのは、全学年の1/3もいませんでした。残りの生徒は、ひたすら少しでもランクの上の大学目指して、自分の学習時間を確保していました。それでも、80%の生徒が、浪人して予備校に通いました。二浪もクラスで14人いました。

クラブ活動がいつのまにか、部活動と名前を変えて、全校生徒の90%加入しているとか、「文武両道」という言葉も日常化しました。

ランクの高い大学の試験を突破するには、膨大な受験勉強時間が必要です。東大であれば、6000時間以上でしょうか?勿論、これは、一般的な目安に過ぎません。IQが、150を越えるような特殊な生徒は、3年まで部活動と両立させて、ごく少ない受験勉強時間で、難関大学に合格する人もいるでしょう。しかし、それは、100人に1人か、1000人に1人でしょう。そのような特殊な生徒をお手本になって、公立学校では、ほとんどの普通の生徒も3年まで、部活動に邁進して、充分な受験勉強時間がとれないまま、ランクが、本人のポテンシャルと比較して、2ランクも3ランクもしたの大学に進学します。進学先もFランクの大学が多くなります。
その結果、就職のときになって、大企業の総合職は、絶望的、中小企業の正社員になるのも厳しくなります。部活動をすることにより、どれだけ多くのものが、失われるのでしょうか?

大企業の総合職、国家公務員総合職、外資企業、医者や法曹界等の専門職、等々、高校時代に部活動に捧げてしまい、チャンスを逃してしまった公立高校の普通の生徒の数は、膨大な数にのぼるでしょう。

対照的に私立中高一貫校では、高校2年までに、全高校の学習範囲を終了して、高校3年は、受験勉強に集中します。部活動は、高校2年の秋には、引退します。

私立中高一貫校と公立高校の越えられない格差は、どのように考えたらいいのでしょうか?

就職のときに、有利な就職活動が展開できるのは、同じポテンシャルを持った生徒ならば、明白に、ランクの高い大学に入学した、私立中高一貫校の生徒です。

これがまさに「格差」でしょうか?

少しでも高いランクの大学に進学することは、生涯を通して、有利になります。高校時代、部活動に明け暮れて、ランクの高い大学に進学を放棄する風潮が公立高校に醸成されたのは、どのような理由からでしょうか?不思議でなりません。