何十年も昔の話ですが、今でも高校時代を懐かしく思い出します。
おとなしい人や内向的な性格の人にはあまり向かなかったかもしれません。非常に喧しい学校でした。いつもお祭り騒ぎばかりの学校でした。規則は、皆無。
全て自己責任。自由と自己責任は表裏一体と言われていました。授業をサボるのも出席するのも自由。パチンコや雀荘も授業中に抜け出していく生徒もいました。昼休みは、外食したり、時には喫茶店で過ごしました。しかし、流されて自分を見失う人はほとんどいませんでした。物理、数学で単位を落としそうな生徒を救うために、有志が朝早く来て真剣に教えていました。
一人ひとりの人権、人格、個性が重んじられました。受験勉強が、できる人が尊敬されることは全くありませんてした。
何しろ、個性が強くてひとつのことに凝る生徒が沢山いました。生徒の中に専門家が沢山、生まれました。世界史をきわめつくし若い教師を泣かす生徒、古文を読むのが滅法、上手くて、みんなひたすら感動してしまう生徒、英語が無敵で、英文をあっという間に暗唱してしまう生徒、数学のあらゆる難問を分かりやすく説明できる生徒、生化学を究めて、大学レベルまでマスターしてしまう生徒等、多彩でした。
教室の掃除は全く誰もしませんでした。見るも無残に汚くなりました。大きな綿埃が空中を舞いました。
ある時、突然、教室が綺麗になりました。実は、同じ教室を定時制の生徒さんが使用しているのですが、その定時制の生徒さんが思いあまって掃除をしてくれたのでした。定時制の生徒さんは昼間に働いて夜学校に学びに来ます。昼間に学校に学べる境遇の全日制の生徒の甘えを緊急の学級会を開いて反省して、以降、きちんと掃除をするようになりました。
以下授業風景について記載します。
音楽、特に印象に残っているのが音楽鑑賞の時間です。生徒が自主的に好きなレコードを持ってきて如何に素晴らしいかを生徒自身の説明付で披露し合うのです。はじめて聞いた曲が、シューマンの交響的練習職でした。
この時の感激でクラッシック音楽は、一生の趣味になりました。
数学の時間は面白い又は感激した問題を生徒が勝手に選んで、発表し合うのです。黒板3面使って、ひたすら生徒主導の発表授業でした。
現代国語は、はじめての授業は、カミュのシェーシポスの神話を読んで、感想文を書き、発表し合うものでした。カントの「純粋性理性批判」、べーゲルの「存在と無」を読んだ授業風景が思い出されます。先生が一方的に教えることはなく、全て生徒主導の発表授業でした。受験にはあまり役立ちませんでした。
英語は、教科書を6月には終わりました。その後は、大量のプリントと11冊にも及ぶ副読本でした。生徒にとことんあてていきますが、いやな人は、パスと言えば、逃れられました。英和辞典も和英辞典も使用禁止で、全て英英辞典を使用するように指導されました。
受験指導はありませんでしたが、たくさんの方OBが来てくれて、相談にのってくれました。沢山の情報を得ることができました。理系も文系もクラス分けしていませんでした。文系でも数学Ⅲ を多くの生徒が学び、理系でも日本史、世界史を多くの生徒が学んでいました。
完全個人指導塾 OEC 下垣 明
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