大分県立舞鶴高校の出口と入口の差

大分県の№2の高校は、舞鶴高校であることは、大分県に来て初めてしりました。上野丘高校は、私の在籍した大学時代に同級生がいたので知っていました。

 

しかし、上野丘と舞鶴の出口の差はどこから生じるのでしょうか?

入口の県立高校の入試のボーダーラインはわずか10点~20点なのに、出口の進学する大学は大きな差がついています。

具体的には、国立医学部関係は上野丘27名、舞鶴3名、東大は、上野丘9名、舞鶴1名、九大は、上野丘54名、舞鶴17名等々話になりません。

 

両校の教員の質の違い、生徒のレベル、教育環境等を考えてもこれほどの差が出てしまうのは不思議です。他県でも一番手と二番手の学校は、差はありますが、大分県の場合は、上野丘一強であり、二番手はいなくて、あとは、みんな豊府、大分西、雄城台とあまり差がないように思えます。大分大学の進学数に差はありますが、九大以上のレベルの学校に進学したいという志を持つ生徒は上野丘しか目指す学校はないのが現実ではないでしょうか?きっと、舞鶴では旧帝大の二次試験対策を学校で正面から取り組むことはしていないか又はできないかのどちらかではないかと思います。特に、旧帝大の文系の論述対応は、学校側に相応の覚悟というか負荷がかかりますから。もしも、高校入試のときに、九大以上の学校を志すのであれば、上野丘一本で勝負して、ダメであれば、東明の特進あたりを抑えにするしかないでしょう。舞鶴は過激な部活動や過大な画一的な課題に追われて、旧帝大や国立医学部を目指すには不向きな学校ではないでしょうか?

 

ところで、何故、県立高校の入試のレベルが大きな違いはないのに出口のところで、このような大きな差がでる原因について、以下のように考えました。

① 上野丘の上位層、特に100番以内は、大分県で最も優秀な生徒が集結しているこれは附属中の生徒が大きな割合を占めているのではないか?県立入試のボーダーラインとは関係ないと思われる。

② 上野丘の保護者には、大変教育にマインドの高い層がいて、旧帝大や国立医学部に進学するメリットを充分に理解して、子どものに小さい頃から質の高い教育を受けさせてきた。(特に附中出身者)

③ 上野丘には、生徒間に、旧帝大や国立医学部を目指そうとする意気込みの場を形成している。生徒間に切磋琢磨して難関校を目指そうとする文化が醸成されていて、伝統になっている。

 

九大や国立医学部を目指すか地方国立でいいと思うかというのは、大変な違いです。例えば、舞鶴では現役合格率を誇りにしていますが、そのようなことを指標にしてしまうと大分大学の合格者1人と九州大学の合格者1人が同じ価値になります。しかし、実態は、九大の合格者1人に対して、大分大学は10人、東大の合格者1人に対して大分大学の合格者30人くらいの価値があるのではないでしょうか。大手塾の中にも両校を一緒にして上舞なんて言う言い方をしているところがありますが、全く、両校の実態を理解していないと言えるでしょう。