上野丘高校に進学することが、難関大学進学に直接繋がることはあるのでしょうか?

県内の超進学校に進学することが、直接、難関大学に進学することに繋がることはあるのでしょうか?

 

例えば、舞鶴高校や豊府高校に進学すれば、大分大学に進学したと推測される生徒が、上野丘高校に進学することで、九大や東大に進学可能となるケースは、あるのでしょうか?

 

上野丘高校の上位100番以内の生徒は、難関大学に進学可能なキャパシティをもっていると考えられます。

 

この上位100位以内の生徒と日々接することで、入学時下位100番の生徒がどのように化学変化を起こすかは、個々の生徒の人間性や地頭の良さによるところが大きいと思われます。

 

地頭がいい又は人間的キャパシティの大きい生徒は、大きく成長して、上野丘高校に進学することで、旧帝への手がかりを掴むかもしれません。

 

逆に、上野丘高校に進学することで、中学時代とは、うって変わって、学校の成績は下落し、学習内容も一気に高度化するので、ついていけずに、自信喪失の悪循環に陥り、大分大学も難しくなる生徒もいるかもしれません。

 

とちらのケースが多いかは分かりませんが、全体でみると変わらないかも知れません。

 

高校時代は、短い期間ですが、人間性の原風景がつくられる時代でもあります。

 

授業以外に学校行事や日々の生徒と教師の語らいの中で、生徒の人間力が高まる可能性があります。学校の持つ「場」の力でしょうか?

 

学校の持つ「場」の中で、生徒同士が切磋琢磨して得られた人間力こそが、社会に出て大きな花を咲かせる種になります。

 

旧制都立日比谷高校は、私にとって、理想の学校です。東大合格者数日本一が魅力なのでは、ありません。当時の日比谷高校に流れている人間力を育てるとんでもなく大きい「場」があったように思います。

 

東大は、現役では30名程度で100名は浪人でした。しかし、政界、財界、法曹界、芸能界、学者等等、あらゆる分野にあれだけの人材を排出した学校は、他にありません。

 

吉田松陰松下村塾も辺境の小さな塾から、明治維新をつくりあげた人材がきら星のように出ました。

 

上野丘高校高校は、大分県では、県下一の名門であることは、だれも疑う人はいません。

 

私は、上野丘高校が、単純に難関大学への進学者だけではなくて、生徒の人間力を高める「場」がある学校であることを信じています。

 

完全個人指導塾  OEC      下垣  明

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