教員のみなさんの働き方改革の中にも部活をテーマにした議論が散見されます。教員の皆さんの中には、部活の顧問を引き受けたくない人が相当数いるようです。
一方で、「部活=命 」 といった感じの教員の方もいらっしやいます。
公立の中学校や高校では、部活はある意味、聖域に近い状況になっている学校もあるかと思います。部活は、「原則は、全員参加」のような雰囲気が漂っている学校も少なくないようです。
子どもに聞いてみると、部活が率直に言って楽しいという子どもは、比較的少なく、授業と並んで義務感のようなイメージを持つ子どもも相当数います。
「部活の存在意義」は、一体どのようなところにあるのでしょうか?
1 趣味、遊びを一生懸命することで、心豊かな 人になることを目指す。趣味、遊びを部活に置き換えることで、趣味、遊びを一生懸命できる場を子どもたちに与えることが部活の存在意義である。部活は、単なる趣味、遊び以外の、何者でもない。
2 学校の授業には、数学、英語、理科、社会、国語等の教科が不得手の子どもも相当数いる。このような子どもにとって、部活の中に、得意なものや心底、面白いと感じるものがあれば、学校にくる意義ができるほか、自己肯定感も向上する。部活の意義は、主要教科が不得意な子どもを救うことにある。
3 保護者(教員)の都合のために、部活の存在意義はある。運動部活等の試合観戦は、保護者の大きな娯楽になっている。一杯飲み屋での話題には、子どもの運動部活の試合の話が多い。又、子どもが放課後、勝手に悪事をすることが、なくなり安心である。
部活の存在意義は、上記の3点以外に他にあるでしょうか?
部活による弊害もあります。
地頭がそこそこ良い子どもの場合、日々、勉強癖をつけて、学力を伸ばせば、難関校へ合格したかもしれない可能性を部活動により結果的に塞がれることになったケースも沢山あるでしょう。難関校にいけば、就活時に、大きな可能性が広がります。
しかし、このような弊害に気がつく人はほとんどいません。
完全個人指導塾 OEC 下垣 明
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