竹田市(大分県)の山の中の小さな学校の方が東京都のマンモス校よりも教育水準、教育の質ともに遥かに優れている。!

私は、東京で生まれ育ちました。

クラスの人数は、45人、小学校4クラス、中学校は、8クラスありました。

朝の朝会は、校庭でしましたが、校長先生は、遥か黒い点に見え、顔などもまともにみたことはありません。全校生徒は、小中学校ともに1000人を超えていました

私は、母子家庭で育ち、運動神経が極端に鈍く、人馴れもしていないのて、小太りでトロい性格でした。その為、先生からも、級友からも、存在感がなくて、空虚な学校生活を送りました。

 

学校生活からは、疎外感しか感じませんでしたが、少数の仲の良い友だちと学校から帰るとひたすら遊びまくりました。昆虫採取や空き家やや下水道の土管の中の探検に熱心に、取り組みました。

イジメから逃れるために毎日、休み時間にはプロレスごっこに勤しみ、喧嘩では、ささやかな戦果をあげていきました。

 

私は、当時の先生にとって、目立たないどうでも良い存在でした。喧嘩して相手の子どもに怪我をさせたときだけ、困ったやつと思われました。

 

学校の先生から、勉強を個人的に教わったたことも皆無、何か相談したことも皆無、つまり、

私のように深海魚のように沈んでしまった子どもにとっては、マンモス校の中では、邪魔者以外何者でもありませんでした。もちろん、出来の良い子どもは、マンモス校では勉強でも部活でも、切磋琢磨できる環境かあるでしょう。しかし、それはどちらかというと少数派でしょう。

優秀な子どもを除き、平凡な多くの子どもは、先生からは、疎外感しか感じない子どもか相当数いるのてはないかと想像します。

 

ところで、ひょんなところから縁を得て、大分県竹田市の宮城台小学校に57歳を過ぎて教員として赴任しました。

全校生徒23人。先生は、子どもたちをファーストネームで呼び、一人ひとりの子どもの人間性をしっかり受け入れ、教員として、子どもの成長にしっかりと寄り添っていました。

 

校歌を歌うときは、子ども一人ひとりが全力で歌うために、僅か23名でも大迫力でした。

勉強が得意な子どもも、そうでない子どもも、運動が得意な子どもも、そうでない子どもも、目はしの効く子どもも、そうでない子どもも、先生方の眩しいまでの愛情が別け隔てなく降り注がれていました。

 

東京の学校の先生の子どもへのかかわりが、竹田市の学校の場合と、根本的に違うことに驚きました。

 

義務教育学校のミッションには、読み書きそろばんの基本知識の習得と人間性の成長、社会性を身につけさせることにあります。

 

後者は、先生と子どものコミニケーションの深さ、地域の人と子どものコミニケーションの深さがその原動力になります。

 

私の東京での小中学校の経験では、先生や地域の人とのコミニケーションは皆無でした。

先生との懐かしい思い出には、皆無であり、校歌も全く覚えていません。

 

今は、子どもは多様化し、画一的な学校生活に適応できない子どもも多く出てきました。

不登校、陰湿なイジメ、学級崩壊等等。

 

東京のマンモス校で息詰まった子どもが、竹田市の学校に転校してくれば、生き返ると想像できることが多くありました。

 

東京と竹田市の違いは、以下の通りです。

1 教員の質が高い

2  地域が学校に協力的

3子どもが素直で子どもらしい

 

これらの小規模の素晴らしい竹田の小中学校を

竹田市民の皆さんは誇りに思ってほしいと切に願います。

 

完全個人指導塾  OEC      下垣 明

大分市松が丘  携帯08067134143